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東京簡易裁判所 昭和49年(ハ)2966号 判決

原告 国

訴訟代理人 島尻寛光 高橋郁夫 ほか二名

被告 荒籾一郎

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の各土地につき、昭和一七年一〇月一日付売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告(旧海軍省)は、昭和一七年一〇月一日被告から別紙物件目録記載の土地(以下本件土地という)を代金三、八〇三円四〇銭で買受けた。

2  仮りに、右事実が認められないとしても、被告は同一七年一〇月一日被告の継母荒籾ツ子(昭和五〇年死亡、以下ツ子という)を使者とし、右が認められないとしても、代理人として、原告との間において、同一七年一〇月一日本件土地につき売買契約を締結した。

仮りに、ツ子に代理権がなかつたとしても、被告は同四五年一月二六日原告に対し口頭で、右が認められたとしても、同五一年一月三〇日(本訴第一回口頭弁論期日において)、右ツ子による売買契約を追認した。

3  旧海軍省は昭和二〇年八月一五日終戦によつて解体され、本件土地は所有権移転登記未了のまま国有財産として大蔵省に引継がれ現在に至つている。

よつて、原告は被告に対し、本件土地について第一項記載の売買を原因とする所有権移転登記手続を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因中昭和二〇年八月一五日終戦となつたことをのぞき、その余は否認する。本件土地の売買契約(被告自身による)と甲第一号証の補助事実につき、はじめ相手方の主張事実を認めたがそれは真実に反する陳述で錯誤に基づいてしたものであるから、その自白(右補助事実の自白を含む)を撤回し、否認する。

原告の右撤回に対する主張

1  原告は右撤回に対してただちに異議をのべた。

2  自白にかかる事実の範囲につき、売渡書に押印したのは被告自身又は被告の承諾を得たツ子である。

3  被告の右撤回は被告の故意又は重大な過失によつて時機に後れたものである。

被告の主張

本件土地の売買契約は、原告とツ子との間で被告の関与なく、被告名義でなされたものである。

三  仮定抗弁

仮りに、本件土地の売買契約を被告が追認したとしても、被告は、契約締結後の事情変更による契約解除権が、後記のとおり発生しているので被告は昭和五一年七月二八日付準備書面に基づき(昭和五〇年六月一八日付準備書面五項援用)同五一年九月一三日本訴第一二回弁論期日に右売買契約解除の意思表示をした。

解除権発生事由は次のとおりである。

1  当事者の予見せず、又は予見し得ない著しい事情の変更が生じた。けだし、本件土地の売買契約が、同一七年一〇月一日になされたが、その後、軍事施設は作られず終戦となり、軍事施設建設の目的が消滅した。約定された代金三、八〇三円四〇銭の支払を受けていないが、右金額は現在些細なものである。

2  右の事情の変更は被告の責に帰すべからざる事由によるものである。

3  右の契約どおりの拘束力を認めることは、信義の原則に反する。けだし、約七、〇〇〇平方メートルの土地(時価数千万円)を失うことは経済的損失が大である。

四  仮定抗弁に対する認否

事情変更による解除権の発生は否認する。

理由

自白の撤回について

一  被告は昭和五〇年一月三〇日本訴第一回口頭弁論期日において、前述の如く自白し(以下自白というときは、甲第一号証の成立についての補助事実の自白を含む)、第九回口頭弁論期日に右自白を撤回し、右撤回に対し原告が異議をのべたことは本件記録に徴し明らかであり、弁論の全趣旨によれば、被告の自白が、被告自身が押印して売買契約をしたとの自白であることが認められる。

二  本件土地の売買契約に被告が関与していないこと、つまり、被告が、原告と売買契約をしていないこと、後記判示のとおりである。

従つて、被告が売買契約をしたとの自白は真実に反するというべきである。

三  父島の日本復帰(同四三年六月二六日)後、被告は大蔵省の係官より、本件土地の移転登記請求を再度にわたつて受けたが、移転登記に応じなかつたこと、後記判示のとおりである。

右の事実と、自白が、本人訴訟の第一回口頭弁論期日になされたことと、被告本人の供述、弁論の全趣旨から、右自白が被告において充分に考慮された結果なされたとは確認できず、錯誤によるものと認められる。

他方、訴訟代理人にも、錯誤があること、後に判示するとおりである。

よつて、右の錯誤と前記自白が真実に反することと相まつて右自白の撤回を許すこととする。

四  自白の撤回が、被告の故意又は重大な過失によつて時機に後れている旨の原告の主張について考察する。

本件記録と弁論の全趣旨によれば、訴訟代理人は被告の自白後に訴訟代理人に選任されたが、その自白について検討を加えず、自白を鵜呑にして(検討をしていれば、早期に撤回の挙に出たであろうことは推認できる)、その自白を前提に弁論を重ね、当事者申出の証拠の取調べ終了後である第九回口頭弁論期日に右自白を撤回したことは、重大な過失によつて時機に後れたものと認めることができる。しかし、すでに証拠の取調べは終了しており主張の整理に若干の期日を要したとするも、訴訟の完結を遅延せしめるものとして、右被告の撤回の主張を却下しなければならないほどのものではない。

従つて、訴訟の完結を遅延せしめるとは認められない。よつて、原告の本申立は採用しない。

売買契約について

一  〈証拠省略〉によれば、原告は、昭和一七年夏ころ、軍事上の目的から小笠原父島に軍用地を必要としていたこと、買収についての手続は所有者の自由意思を前提として、所有者に買収の必要とする事由の了解を得て、交渉が成立すると、承諾書、着工承諾書を提出させ、後日売渡書、登記承諾書、代金領収書等を押印の上提出をうけること、所有者が土地所在地に居住しないときは、文書で連絡して調印するとか、直接に海軍施設部に出頭してもらうとかの方法が採られていたこと、代金の支払については、原則は所有権移転登記後に支払うことであつたが、本件買収時には通達で登記前にも支払ができるようになつていて、小切手で所有者の多いときは町村役場等に一括して送つていて、個人にも送ることがあつたこと、

二  本件買収の管轄は横須賀(施設部)であり、同一七年九月ころ甲第一号証の神奈川県の現住所に居住していたツ子に対し買収の交渉があり、ツ子は父島へ出頭せず、書類の処理は文書の連絡、又は面接の方法でなされたこと、

同一七年一〇月一日付で被告作成名義の売渡書(甲第一号証)が、ツ子より原告に提出されたこと、右同日ころ、本件土地が原告に領収(引渡)されて、同二〇年六月二九日代金三、八〇二円四〇銭の支払の措置がなされているが、(ツ子が受領しているかどうかは別論として)被告は受領していないこと、

被告は本件土地を父島の買収予定地に所有していたが、同一七年当時二一才で、日本水産株式会社白石工場に勤務していて宮城県白石市銚子が森に居住していたこと、被告の実母は、大正一五年死亡、実父は同四年ツ子と再婚したが同一三年九月一八日死亡したこと、同一七年当時ツ子は一人で父島に住んで(被告には姉妹二人がいるが何れも東京で生活していた。)いたが、同年七月父島より強制疎開によつて、甲第一号証の被告名肩書地である神奈川県中郡旭村大字坂間、高橋利作方に疎開居住していたが、被告とは文通はあつたこと、被告は土地買収についての各種書類の作成その他について、旧海軍、役場、ツ子等から何等の連絡も受けていないこと、被告は昭和二〇年九月宮城県の被告の住居で同所を訪れたツ子より「原告に被告名で本件土地を売つたが、代金を受領していない」との報告を受けて、始めて買収の事実を知つたが、自分で契約もせず、代金を受領していないので、白紙になつたと考えそのまま放置して、同四三年父島の復帰までに至り、その後、大蔵省係官より移転登記請求を受けたこと、同四四年ころ、ツ子は買収時の事情について「作つて来た書類に判を押せといわれた」と被告にのべていること、以上の一、二の各事実が認められる。

右事実を総合考察するに

旧海軍は、重要な不動産の処分に関する買収であるのに、所有者である被告(宮城県居住)と容易に連絡をとり得るのに、それをせず、当時神奈川県に疎開居住していたツ子と文書又は海軍施設部職員による面接等の方法で交渉し、ツ子は、同一七年一〇月一日甲第一号証の売渡書(官署作成部分をのぞく)を、何等の権限(使者又は代理権等)もないのに自己の所持する印章を用いて、被告名下に押印して作成し、提出して買収手続を進行させたものと推認される。よつて、被告は右売買契約には関与していないことになる。右の次第から甲第一号証の売渡書は被告によつて作成されたとは認め難く、他に右書面の成立の真正を認むるに足る証拠はない。

従つて、被告は原告と売買契約をしていないということになる。

ほかに、右売買契約の成立を認めるに足る証拠はない。よつて、この点についての原告の主張は失当である。

使者又は代理権について

被告が本件売買契約に関与していないこと、甲第一号証(官署作成部分をのぞく)の成立の真正が認められないこと先に認定のとおりで、右からして、被告がツ子を使者とし、又は代理権を与えたとは認められないところである。被告とツ子は継母の関係にあり、本件売買当時文通のあつたこと、本件が不動産の処分に関するものであることは先に認定のとおりであるが右の事実によるも、先の売買契約の項にて認定の各事実に徴し、原告の右主張を推認するに足りない。

ほかに、原告の右主張を肯定するに足る証拠はない。よつて右の代理権等の主張は失当である。

追認について

〈証拠省略〉によれば、被告は昭和四五年一月二六日大蔵省係官に対して本件土地についての移転登記を一応承諾しているが、その後である同年三月三日、同四六年三月一一日、同年四月一四日の右係官に対するそれぞれの陳述(結果的には移転登記承諾書提出の拒否)と被告本人の供述を総合的に考察すると、右の承諾がツ子の売買行為に対する確定的な追認の意思表示があつたとは認め難く、又同五〇年一月三〇日の本訴第一回口頭弁論期日において、本件土地の売買契約が被告自身によつてなされたことを認める旨陳述していること前述のとおりであるが、右は自分が売買契約をしたということであつてツ子によつてなされた被告名下の売買を認めることまでも含むものではないと解される。よつて右陳述があつた故をもつてツ子による被告名下の売買行為を自己に帰属させることを内容とする意思表示、いわゆる、追認とは認められない。

仮りに、自白がツ子によつてなされた被告名下の売買までも含むとしても、右陳述に引続いて本件土地の原告の所有権を否定していること(本件記録に徴し明らか)と被告本人の供述を総合すると、右の契約を認める旨の自白は、追認とは認め難い。従つて、右の諸点から、被告においてツ子の行為に対し、明示又は黙示の追認があつたとは認められず、他に追認があつたと認むべき証拠はない。よつて、この点についての原告の主張は失当である。

結論

以上により、原、被告間には本件土地の売買契約が締結されなかつたということになる。よつて、その余の点を判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がなく、棄却することとする。

訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 保田文雄)

物件目録〈省略〉

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